2015年1月18日日曜日

多重がんで労災申請した元1F作業員のインタビュー

今朝の東京新聞に、「元作業員『被ばくでがん』福島事故初期に従事 労災訴え:核心(TOKYO Web)」 という記事が出ていました。この記事で紹介されている元作業員の方には私も一昨年の秋にインタビューして、『世界』2014年1月号に書きました。編集部の了承を得て、以下に転載します。

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 福島第一原発の事故発生以来、収束作業に従事した労働者はこの一〇月で三万人を超えた。そのうち約三割は一〇~三〇代の若者で、今後、がんなど晩発性の健康障害の発生が懸念される。
 国は長期的ながん検診など「調べる」制度はつくったが、実際に発症した場合の包括的な補償の枠組みは存在せず、労災を申請するか、原子力損害賠償法により東電に損害賠償を請求するほかないのが現状だ。
 今年八月、二〇一一年七月から一〇月まで同原発で働き、その後、膀胱、胃、大腸にがんを発症した札幌市在住の男性作業員(五五歳)が労災を申請した。この男性に話を聞いた。

――イチエフで事故収束作業に従事したのは、どういう理由からでしょうか。

 震災の前は、ずっとダム造る仕事してたん。京極の山を上がった標高八〇〇メートルくらいの所にすり鉢状の池を、その下にダムを造って、夜間に余った電気を使って下のダムの水を上の池に汲み上げ、それを日中に落として電気を起こす。日本に四基しかないでっかい揚水式発電所。その仕事に一〇年以上行ってたんだ。ようやくダムが完成した次の年にあの震災だった。
 (イチエフの仕事は)震災直後の三月中からオファーはきてたけど、家内から「あんな危ないところ行っちゃ駄目」と言われて何度も断ってたんだ。でも、六月上旬に会社から電話があった時は、福島に行ってもらわないと次の仕事はないって言われた。当時は民主党政権で公共事業が削減されて仕事も薄かったし、それでしょうがなく引き受けたのさ。

――それで七月からイチエフで働き始めたわけですね。

 現地に着いたら、全国津々浦々から集まってきていた。頭を見たら白髪の人ばかりで、俺なんか若い方だった。
 まず、Jヴィレッジ(事故後、収束作業の拠点とされたサッカーのトレーニング施設)で放射線や装備なんかの教育を受けて、東電の試験を受けた。試験と言っても、教科書みたいのを見ながら記入していく。じゃないと、受かる人いないんだから。形式だけ。
 ちゃんと頭に入っているかというと、現場でマスクを外して水を飲んだりしたらいけないということくらい。あとは、なんぼ勉強したって、俺たちそんなに学がある人間じゃないから、右から聞いて左から抜けていく。

――恐怖心はありましたか。

 恐怖はあったね。もし、線量高いところだけ空気がピンク色になっているとかだったらわかるけど、目に見えないでしょ。だから、どこからどこまでが危ないかわからない。
 それに当時は、爆発した原子炉建屋からまだ煙がモクモクと上がっていたんだから。初日にあれを見て、みんなで「うわぁ、とんでもねえところに来てしまった」って言ってたんだから。ほんとすべてが恐怖だったよ。

――現場では、具体的にどんな作業をされたのでしょうか。

 俺たちは、ゼネコンのJVの無人化プロジェクトと言って、建屋周辺の瓦礫を無人重機で撤去していく仕事。
 一〇トントラックの荷台に箱が載かってて、中にモニターが何十台もあって、それを見ながら俺たちオペレーターが無人重機を操作する。オペは、(瓦礫を)挟む人と切る人と運ぶ人、そしてカメラを操作する人がいて、後ろには指示をする職長がいて目を光らせている。たまに東電社員も来ていたよ。
 無人と言うけど、全部無人ではできない。それが問題なんだよ。

――どういうことでしょうか。

 建屋の周りには、でっかい側溝みたいなのがたくさんあるんだ。その上に鉄板を並べて、そこに重機を載せて動かすんだけど、無人ではできないんだわ。
 俺も一五歳から重機乗ってるけど、あんなのは初めて。モニター見ながら操作するんだけど、見える範囲は狭いし、音もなければ感覚もない。エンジンがかかったかどうかも、カメラをズームインさせて煙が出てるかどうかで確認しないとわからないんだから。
 もし(重機が)側溝にずり落ちちゃったりしたら大事だから、そういう時は一〇キロ以上ある鉛のベストを着て、三〇分交代で重機に乗ってやったよ。
 それに、機械の爪では大きい物は取れるけど小さい物はとれないんだ。だから、東電に「もうちょっときれいにならないか」と言われて、しょうがないから重機で砕いた小さな瓦礫を手で持って運んだりもしたよ。元請の所長自身がやってるんだから、俺たちもやらないわけにはいかないでしょ。
 線量が高いから赤いスプレーで「×」印(触るなの意味)がされているような瓦礫も運んだよ。重たいから腹で押さえたりして運んだ。やりながら、これやべえなぁと思ったけど、そうしないとできないからね。そういうのは、数え切れないくらいあったよ。危ないから「無人化」ってなっているのにね……。

――そんな高線量の瓦礫を体に密着させて運んだら、APD(個人用警報付線量計)は鳴りませんでしたか。

 当然鳴るよ。APDが鳴ったら、普通は作業を中止しなければいけないんだけど、現場はそうじゃないから。そのまま作業続行するか、少し線量の低いところに移って作業するか。こんなもん鳴ったからって、毎回退避していたら仕事になんないからね。
 でもしばらくして、これじゃ一ヵ月もしないうちに線量満タンになっちゃうよって言って、みんなでAPD外して作業するようになった。重機に乗る時や車から降りて作業する時は、タイベックのチャックを下ろしてAPDを外し、車の中に置いて作業した。
 だから俺の被曝線量は、放管手帳には五六・四一ミリシーベルトって書いてあるけど、実際は一〇〇ミリシーベルト以上浴びてると思ってるよ。

 
――指示をする現場監督や職長は、それを知っていたのでしょうか。

 知っているも何も、彼ら自身もやっていたからね。
 でも、これはしょうがないんだわ。無人重機の操作を一通りやっと覚えた頃には三ヵ月くらい経ってしまってる。それで次の人が来るでしょ。でも、この人に教えなきゃなんない。50ミリが満タン(元請が決めている被曝上限)だとすると、50ミリを超えていても超えないように数値的には合わせて、この人たちができるようになるまで居なくちゃいけない。
 職長とか資格持った人はそんなにいないから、APDを置いていったりして俺たちより長くいる。お金が欲しいからいるんじゃなくて、そうせざるを得ないんだわ。そういう人は替わりがきかないから、四ヵ月のサイクルではまかないきれないんだわ。

――元請けのゼネコンもAPDを外していることをわかっていたと思いますか。

 わかっていたと思うよ、職長があれだけ長くいるんだから。見て見ぬ振りだよね。
 とにかく、言ってることとやってることが全然違うんだわ。朝の打ち合わせでは、あそこは線量高いから重機に乗るなよって言ってた所でも、やり出したら、覆工板が安定しないから重機に乗って有人でやったり。建屋の周りには太い配管とかバルブとかいろいろあって、実際に無人でやってバルブもいでしまって変な水が出てきたりしたこともあった。だから、結局は三〇分交代で機械に乗って有人でやるしかないんだ。
 原子炉の溶け落ちた燃料を冷却するためのホースや電源ケーブルなんかもむき出しであちこちに這っているからね。あんなのキャタピラで踏んづけたらアウトだから。だから、機械を移動させるのにも、すごく気を使うよ。
 重機だって、ものすごい線量被曝してて、キャビンには鉛をかぶせてるけど中に埃とかいっぱい入ってる。俺たちは、そういうのに乗って作業したんだ。大体、重機が壊れても、キャタピラだろうがコマツだろうがメーカーの人は部品を持ってくるだけで現場に来ないからね。普通は、壊れて電話したら、サービスですぐに来て直してくれるけど、あそこには来ない。

――ほかにも作業で大変だったことはありますか。

 とにかく、あの暑さの中で、あの装備でやることだよね。
 一日三時間の仕事だったけど、最初の頃は一〇時間以上使われた気分がしたよ。全面マスクして作業していると、中に汗ががっつり溜まるんだわ。しょうないから、あごのところに隙間を空けてジャーって流したり。それに、マスクの前面がよく曇って、曇るということは空気が漏れているということだから、もっときつく締めるでしょ。そうすると頭が痛くなってね。
 それで作業終わって免震棟に帰ってくるでしょ。サーベイ(汚染の測定)を待っている間に倒れている人いるんだから。タイベックを脱いで下着が汗でべちゃべちゃになっているところに、クーラーがガンガンかかってるから、急に体が冷えて倒れちゃう。俺も倒れそうになったことあるよ。
 こんな過酷な環境で仕事してるのに、元請のゼネコンの所長は俺たちにこう言ったからね。
 「ここで熱中症になって一人でも倒れたら、全員帰ってもらうからな」
 そんな馬鹿な……って思ったよ。みんな嫌々来たところに、あの猛暑の中で全面マスクつけて作業するのに、こんなこと言ったんだから。おかしいでしょ。
 実際に倒れたら、東電の社員が倒れた作業員を取り囲んで始末書を書かせてるんだから。「倒れたらこうなるんだぞ。気をつけろよ」って。でも、気をつけろと言ったって気をつけようがないんだから。

――四ヵ月間収束作業に従事して二〇一一年一一月にイチエフの現場から離れた後に、膀胱と胃と大腸にがんが見つかったとのことですが、経過を教えていただけますでしょうか。

 イチエフで仕事した翌年、宮城県の石巻に出張して震災の瓦礫処分とかの仕事をしていた。そしたら、ある日突然血尿が出て、びっくりして病院に行って検査したら膀胱に腫瘍があると言われて、すぐ手術したんだ。
 最初は、イチエフで仕事したことが原因だとは思わなかった。でも、今年になって東電からがん診断してくださいという文書が送られてきて、それで受けたら今度は胃と大腸にもがんが見つかった。それで、俺は絶対あれだなって確信した。だって、転移じゃなくて、全部原発性なんだから。
 イチエフに行く前も、毎年健康診断受けていたけど特に問題なかったし、うちの家系にはがんはいないから。こんなことって、あるかよって。

――なぜ労災を申請しようと思われたのでしょうか。

 最初は東電に電話したんだ。「がんが見つかったけど、どうすんのよ?」と聞いたら、「治療費は自己負担です」と。そんな馬鹿なことあるかって言ってやったよ。
 だって、がんになる可能性があるから病院に行って検査してくれと言ってるんでしょ。それなのに、
 実際にがんになったら自腹だから。「じゃあ、あとのことどうすんのよ?」と聞いたら、「厚労省が指定している作業員健康相談窓口に相談してみてくれ」と。
 それで、厚労省が指定している相談窓口で一番近い北海道結核予防会に行ってみたら、今度は「私たちではわからないので、市役所の窓口に行って相談してみてください」と。。市役所の相談窓口って言ったら、生活保護でしょ? 言うのは簡単だけど、生活保護受けるには、家だって叩き売らないといけない。
 いくらになるかわからない小さい家でも、俺からしてみれば二五年間のローンを組んでこれを買うのも大変だったんだよ。それを、イチエフに行ったがためにがんになって、あちこちたらい回しにされた末に相談窓口に行ってみたら、生活保護もらえ? 何で俺が、そんなことしなくちゃいけないの?
 俺、本当に頭にきて、また東電に電話してやった。そしたら今度は「労基署に相談してみたらいかがでしょうか」と言うんだ。それで札幌の労基署に行ったら、初めて親身に話を聞いてくれて、労災申請の手続きも教えてくれた。八月中旬には、福島の労基署の人が札幌まで来て、二日かけて聴取していった。

――建設業界では、重層的下請け構造の中で労災を起こした業者は上の会社から仕事を発注したもらえなくなることから、いわゆる「労災隠し」が常態化しています。そういう中で労災を申請することに躊躇する気持ちはありましたか。

 やっぱり悩んだよ。それをやったらどうなるかわかっているからね。
 でも、こうするしかなかった。だって俺、もう廃人だから。胃を全部とって、ご飯食べれないから一六キロくらい痩せた。膀胱がんの後遺症で、三〇分に一回トイレに行かなくちゃいけないので、夜も寝れない。こんなんで仕事復帰なんかありえないから。会社には去年の一二月に解雇されて、このままだったら使い捨てだから。それだったら労災申請するしかないな、と。
 病院もやたら金がかかるんだ。抗がん剤は三週間分で二万円以上。このほかに病院の診療代がかかる。もうすぐ傷病手当も切れるし、このままじゃ死ぬしかない。
 それで労基に相談したら、医療費だけはかからないようにしてくれたけど、それも立て替え。労災が認められなかったら返さないといけない。膀胱がんの抗がん剤治療で、一〇〇〇人に一人の確率で出る副作用に当たちゃって、今やっている最終手段の治療が駄目だったら膀胱をとらないといけなくなるかもしれない。そうなったら生命保険でなんぼか下りるので、それで何とかやっていこうと思ってる。
 労基署の人に「労災が下りるか、いつ決まるのか」と聞いたら、「何ヶ月か何年か、いつ決まるかはわからない」と言われた。でも、そんなことしているうちに俺死んじゃうよ。

――厚生労働省は、胃がんなどの労災認定の指針の中で、これまでの疫学調査の結果から固形がんの発症リスクが高くなるのは一〇〇ミリシーベルト以上だとしています。これについては、どう思われますか。

 そんなの問題外だと俺は思う。熱中症だって、同じ現場で作業していたって、なる人とならない人がいるでしょ。同じ線量浴びていても、病気になるかどうかは人それぞれだから。

――イチエフに行ったことを、今どのように思っていらっしゃいますか。

 こんなことになるんだったら、行かなきゃよかった。後の祭りだけどね。あの時、断って仕事干されても、行かない方がよかった。
 イチエフの免震棟には「作業員の皆様、命を顧みず来てくれてありがとう」なんて大きく書いてあったけど、いい法螺だわな。本当にそう思っているのなら、いざこうなったら「うちで何とかする」と言うはずでしょう。
 でも、厚労省の相談窓口に相談しろ、労基署に相談しろ、とたらい回しにして。東電の仕事をしてこうなったのに、東電のやつらは知らん顔。上の人間と話したいと言って連絡先を伝えても、電話もかかってこない。

――私がこれまでに取材した作業員の中には、イチエフの事故収束作業に従事できたことを誇りに思うと話す方もいらっしゃいましたが、そういうお気持ちはまったくありませんか。

 今となったら、そんな誇りなんてひとつもねえや。こんな糞味噌に言われ、しかも労災が通るかどうかもわからない。もっと大事にしてくれんなら違うと思うよ。でも、使い捨てだもん。こんな仕事には誇り持てない。
 俺が誇り持てるのは、さっき言った日本に四基しかない揚水式発電所の仕事に携わることができたこと。あの原発は誇りじゃねえ。あれは大きな迷惑、俺にしたら。
 これから先、俺みたいな病気になる人がもっと出てくると思うよ。問題は、病気になった時に政府がどうしてくれるか。イチエフの廃炉作業はこれから四〇年、五〇年かかるのに、こんな感じでやられたら誰も行く人いなくなるよ。自分の命かけて、あんなところ誰も行かんって。
 もし労災が下りなかったら、自分だけじゃなくてこれからの人たちのためにも、裁判にかけてたたかうつもりだよ。





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